Waiting for the Day

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Photo: Ilcommonz (日本語の原文下部に掲載) Now only two among fifty-four reactors are at work in Japan. That is, after eleven months have passed since the nuclear accident, most of the reactors (aside from those suffered the accident) have been stopped for periodical inspection. And none among them has resumed their operation so far. If this state continues, [...]

Abolishionism After 3/11

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Photo: The Stimulator on flickr (Scroll down for the original text in English) 3/11以後の全廃論 エイドリアン・ハーレー 2011年11月2日、ニューヨーク日本領事館前で、まる1日かけて抗議行動が行われた1。これは、ちょうど同じ時期に東京の経産省前で原発の廃止と福島からの子どもの避難を求めて座り込みを行っている女性たちに連帯した行動であり、そのよびかけによってニューヨークの街頭にも人々が集まった。さわやかに晴れた秋の日の午後、その連帯デモで活動家の殿平有子は「日本のテクノロジーにたいする崇拝的な観念を捨てよ!」、そして「災害は未だに続いているのだ!」と呼びかけた。 Stimulatorによるドキュメンタリー、『世界の終わりだけど、気分は上々』のインタビューの中で、活動家の樋口拓朗が述べるところによると、日本の脱原発運動の「主なゴール」は、無論「すべての原発を廃止すること」だが、それにとどまらず「問題は原発だけではない」と加える。さらに樋口はこう続ける:「われわれの文明が原発を造り出した。同じように、文明はプルトニウムさえも造りだす。だから原発事故が起こったとき、僕は、人間の築いた文明こそがこのような惨事をもたらしてしまったのだ、ということが解った気がした。これはとても奥の深い問題だ。僕たちは、生き方そのものを変えなければいけない。」[http://submedia.tv/を参照] 樋口が言及する「文明」と殿平が直面せよと訴える「終わらない災害」、この二つを考えるとき、彼らの運動と我々の運動を隔てている国境というものはここでは認識に値しない。つまり、国境たるものは拡散する放射能を止めることも、勾留することも、凌ぐこともできないのだ。放射性物質を含む瓦礫が日本中に拡散されようとしている中、3月11日以降北米の西海岸では幼児の死亡率は35%上昇したと伝えられている。北米の西海岸では、アルバータ州にあるオイルサンドから摘出される「ビチューメン」を、アメリカ南部のメキシコ岸やアジアにむけて送り出す計画が進められようとしているし、ニジェールでのウラン採掘の壊滅的な人間と環境への影響が示すように、樋口がのべた「我々の文明」によって、われわれの体は病に冒され、扼殺されている。そして同じことが、地球自体にもなされている。 3/11後の日本の状況が私たちに知らせているのは、この危害は、すでに抑圧されている人々、支配されている人々、傷を受けている人々のあいだだけにとどまるものではない、つまり呪いはひな鳥のようにねぐらへもどってくる、ということだ。レスリー・マーモン・シルコウの『死者の暦書』のなかに見られる、アメリカ大陸の被支配層がたちあがり白人による文明を打ち倒すという預言的描写や、星野智幸の『ロンリー・ハーツ・キラー』の中で描かれている日本の天皇制の廃止、そしておそらく国家の終焉が実現するのは、もう時間の問題かもしれない。ここで問うべきことは、どれだけの時間のなかで、そしてその限られた時間のなかで私たちは何をするべきか、である。一体わたしたちはどういう生き方をすべきか? われわれの関わる闘争や運動の中で、それぞれ言葉遣いの違いはありながらも、多くの人が、地球の維持が危機にある、という意識の優先とその切迫した必要性のもとに、全廃論のポリティクス、運動、文化に目を向けている。原発、刑務所、アパルトヘイト、資本主義、権威主義などを全廃する、という欲望と意思は、これらの制度、機構、産業がもたらしている窮乏、危害と暴力に依拠している。さらにこのような制度は、まさにそれがもたらす暴力に依存している。多くの刑務所廃止論者がのべているように、今日の刑務所制度全廃のためには、奴隷制度の全廃の努力をさらに進め、最終的に完了することから始めなければいけない。そして資本主義、植民地主義、家父長制、白人至上主義そして原子力の廃止もまた、サブ・コーソが呼ぶ「機構」から、資本主義、白人至上主義を含む機構から、解き放たれるための、いまだに完了していない使命である。だからこそ、全廃論は、虐殺、環境への殺戮などわれわれに危害を与えるものを政治的に論理化し、排除する機会をわれわれに与えてくれるのである。 まず、3月11日以降の6ヶ月間で私が出会った全廃連帯運動とその潜在力について簡単にたどりたいと思う。 3月、私はカリフォルニアのリヴァーサイドという町で「批判的民俗研究と虐殺の未来:開拓者植民地主義/異性愛的家父長制/白人至上主義」というコンファレンスに参加していた。1日目、全廃論者で埋め尽くされたその会場で、主題発表者として発言した一人はブリティッシュ・コロンビア州・ビクトリア大学の先住民統治プログラムで教授をつとめる ワジヤタウィンだった(フランクリン・ロペスの映画「END:CIV」でインタビューを受ける彼女の姿を思い起こす人もいるかもしれない)。 ワジヤタウィンはスピーチの冒頭で、「この大学がここに存在できるのは、先住民の苦悩の結果であり、先住民が苦しんだからこそ、私たちがこのコンファレンスを開催できるのだ、ということをよくおぼえておかなくてはなりません。」とのべた(これは私が教えている大学ーー奴隷を使った利得者によって設立されているーーに関しても同じことが言える)。開拓植民地主義と白人至上主義を廃するための運動は、「Occupy Together (共に占拠を)」運動と信義を共にする、地元の小さな集会とデモから生まれているが、「Occupation (占拠/占領)」という言葉の持つネガティブな意味を拒否し、そのかわりに脱植民地化のアイデアに運動をあてはめている。これはまさに「全廃論的アプローチ」である。後にのべる戦略的方向性への予示として、ここでこの言葉を使っておくとしよう。 ワジヤタウィンがリバーサイドで発表した3月10日の時点で、日本では3月11日をまわっていた。発表が始まったのが夜の9時半ごろだったので、日本ではすでに午後にさしかかる時刻で、発表の最中に地震が怒ったのだ。ワジヤタウィンは、「社会崩壊時における専門職業化の危険性」というフレーズを用いて、地球の危機について話した。そして何が維持可能で何がそうでないかを考えるよう、私たちに挑戦した。石油漏出、森林皆伐、空から落ちてきた何千羽もの死んだ鳥、海岸に打ちあげられた何百万匹もの魚、それら地球崩壊の映像を次々と見せながら。そして彼女は、これらの荒廃に責任のある文明は、もうすでにバラバラに砕けているのだ、と訴えた。私は、おそらく周りの参加者もそうであったように、われわれに害を及ぼすこの力をできるだけ早く廃止する運動をどう円滑に進めるか、という大きな挑戦状をたたきつけられ、目が覚める思いがした。そして彼女の発表が終わった後に、東北大地震のことを知らされたのだった。 コンファレンスの最終日、私たち参加者はすでに津波の被害と福島第一での爆発のことを聞いていた。その日の主題発表者の一人はコロンビア大学の人類学部で教授を務めるオードラ・シンプソンだった。彼女は「コロンバスのはらわた」について話した。「彼のはらわたが、今私たちの存在するところです。」つまり、「私たちの存在は、彼の航海や歴史的経緯からではなく、彼の内側にある、私たちの居る場所から始まったのだ。」さらに彼女はこう続ける:「私たちはこのマザーファッカーにみんなまるごと摂取され、そして今、彼の内蔵の中にいるのだ。」それならば、その内側から手探りで抜け出すことがわれわれのなすべきことであろう。この発表は、内側から外に向けて全てを廃止すること(この場合、今われわれの居る場所の全廃)をわれわれに呼びかけるためのものであったと私は考える。シンプソンの定式に従えば、窮地に追い込まれたわれわれは全廃論者の牢やぶりとして行動するべきであり、そしてこの解放運動は、サブ・コーソが言う「機構」ーー遠い昔に私たちを呑み込んだ身体、私たちがそこで生まれた身体ーーの破壊を必然的に必須とするであろう。 このコンファレンスは刑務所廃止運動をするクリティカル・レジスタンスのメンバーであり、カリフォルニア大リバーサイド校で民俗学部長をつとめるディラン・ロドリゲスの発表をもって幕を閉じた。ロドリゲスは、民俗学の文脈にからめて次のような問題提起をした:「団結や欲望を想定することから離れることのない政治的、知的蜂起を受け入れること、それは何を意味するのか?」オキュパイ・ウォールストリートをはじめとする占拠運動、脱植民地化運動が活発化する中、その意味はますます明瞭になりつつある。たとえどこにいようとも、闘い苦しみながらも生きたい道を、生きようとする行動を通して、わたしたちは、機構、コロンバス、あるいは文明の死の欲動に対抗しつつ動く全廃主義の文化的実践とバイタリティーに触れることができる。 昨年の春PM Press(サンフランシスコの出版社)のウェブサイトで、公開間近のフランクリン・ロペスの映画「END:CIV」について読んだとき、私の頭にはワジヤタウィン、オードラ・シンプソン、ディラン・ロドリゲスらによる発表の記憶はまだ鮮やかだった。この映画は、私が深刻に考える日本の出来事にまつわるいくつかの問題に立ち向かっていた。そこで映画のサイトを調べたところ、「END:CIV」はすでにいくつかの言語で字幕が付いていることを確認できたが、日本語字幕がまだなかった。数ヶ月後、島大吾が素晴らしい日本語字幕をつけ、同年の10月には新宿のインフォショップ、Irregular Rhythm Asylumの成田圭祐がロペス監督を招いて東京、千葉、福岡と大阪を回る日本語版の上映ツアーを企画した。優れたオーガナイザーであると同時に目ざましいアーティストでもある成田は、この機に『END NUKE POWER & END CIV 』と刻まれたステンシルを制作した。それはわたしたちに、全廃への道、そして新しい全廃論者たちの連帯への道がすでに作られていることを示すものだった。来日ツアー後も日本各地の数十カ所でこの作品の上映とディスカッションが行われ、さらに北米各地をはじめとして同様のイベントが開かれている。「END:CIV」が観衆に求める、全廃論をとりまく対話への探求は、もうまぎれもない事実として広がっている。 ここで、全廃論というものがどのようにして生まれるか、についての一例を述べたい。 犯罪化と量刑政策の拡大が、さらに多数の投獄/監禁を生み出しているという圧倒的証拠にもかかわらず、日本の一般市民は、北米のカウンターパートと同様、「安全保障」の名の下に「犯罪に厳しく」という制度を支持するよう手なずけられている。こうして国家は、日本において、不起訴の状態で最大23日間の勾留を人々に強要することができる。さらに、日本、アメリカ、カナダのような国家では、もともと国や公共機関から援助されていない若者を次々と投獄し、施設へ収容し続けていることも今や明確である。貧困、抑圧状態の犯罪化は、北米でもそうであるように、非常に露骨に、日本国家の持続のために機能してきた。「犯罪に厳しく」のポリシーは、行政の言説のレベルでは公共の安全と安全保障をうたっているが、そこで国家による少年層の扱いを考えるとき、このような政策は、単に、蜂起と抵抗を未然に防ぐために、予防的な無期限の勾留という警察の戦略選択肢をもっぱら拡大するものである。さらにこの実践は、 政治的分析を発展させ、組織化する前に、反乱あるいは抵抗の恩恵を最もうける民衆を文字通り、見分け、黙らせ、中立化しようとする。 言い換えると、投獄や警察行為は、機構 、コロンバス、資本、そして国家の安全保障のために機能しているのだ。トランスセクシュアルの若者、先住民の若者、部落出身者の若者、在日の若者、貧しい若者、移民の若者、ホームレスの若者、有色人種の若者、虐待を受けた若者(…)このどのカテゴリについても、監禁されている(または刑事司法制度に「接触」を受けている)若者たちの生存のために欠かせない解放闘争や、抵抗や叛乱のかたちが示す可能性に限度はない。こうした文脈の中でこそ、全廃連帯運動は、はじめて本当の戦略的、戦術的な利点を得ることができるのである。 全廃論は、私たちに予言師になるよう求めているわけではない。このところのオキュパイ・トゥゲザー運動のなかで、未来への計画あるいは要請に関して「明確さの欠如」が頻繁に議論されていた。明確さや次に来るべきものを問うことは、全廃論を通して語るならば、私たちが拒否してよい政治的課題である。次に来るべきものに何が影響を及ぼすか、全廃論運動を通して学ぶこと山ほどあるはずだ。もし警察や刑務所、負債、学位などというものがなかったら、今に比べてどれほど多くのことを理論づけたり、行動に起こすことができるだろう。オードラ・シンプソンの形象をふたたび借りるなら、コロンバスの内側から手探りで抜け出すことができて初めて、法廷や警察や初歩的自己防衛にエネルギーを注ぐ必要なく、わたしたちにできることの可能性をみいだし、 ともに議論、行動をはじめることができるのではないか。私がここでのべていることは、私たちが現在できるようになった生き方までたどり着くのに、今日までアナキストや反権威主義者などが経てきたとてつもない努力に反論したり、それを萎縮したりするためのものではない。ここで私が述べたいことは、今われわれが居るマザーファッカーのはらわたの中から出ない限り、機構を取り外さない限り、先のことは見えないし知ることもできないだろう、と認識すべきだ、ということである。 では、刑務所廃止論がたとえば原発やその他の廃止論におよぼす影響とは何か?刑務所制度によって、再生産活動への投獄の影響(投獄により拒まれる再生産活動はもちろん、数世代にわたる投獄が再生産活動にもたらす影響も)を含めて、あらゆるレベルでの予防的な規制や投獄が行われている。こうした攻撃的な威力拡大に目のないグローバル刑務所体制は、さらに多くの民衆を犯罪者にしようと日々模索している。ここで一例をあげるならばまず、関係性の犯罪化をが上げられる。アメリカにおけるギャング強化懲役条項(そしてテロリズム強化条項)と、日本における虞犯性の認定(家庭裁判所が、犯罪歴のある者と関係のある少年少女、または虞犯性が見られるー家出やコミュニティーからの脱出の経験のあるー少年少女に対して介入できる制度) がある。日本の家庭裁判所は、北米のカウンターパートと同じように、プロファイリングを通して、非行に走る可能性がある若者たちと「接触」することが出来る。また日本の家庭裁判所は、犯罪的行為に関わる「可能性が有りうる」者と判断された場合、その若者を裁くことができるのだ。法律がより多くより若い層の少年少女を裁けるように拡大されるにつれて、懲役限度(21世紀の始まりで、最大で3年間まで)にまつわる制度も廃棄され、若年層を大人の犯罪裁定の対象にしやすくなっている。ここに引用するが、いくつかの表現が、その性質を赤裸々に語っている: 「少年法の下、家庭裁判所は次の虞犯事由にあてはまる少年に対し管轄権を有する。虞犯事由(ぐはんじゆう)とは、次に掲げる事由をいう(少年法3条1項3号イ~ニ)。 イ)保護者の正当な監督に服しない性癖のあること。 ロ)正当な理由がなく家庭に寄り付かない性癖のあること。 ハ)犯罪性のある人、若しくは不道徳な人と交際し、またはいかがわしい場所に出入りすること。 ニ)自己または他人の徳性を害する行為をする性癖のあること。 2 [...]

Before and After 3/11

tk1760
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Photo: 汚染帝都 by Kai Wai散策 (Translation by Umi Hagitani) *The original text of the present article in Japanese has been published in at Plus 10 (Tokyo: Ohta Publishing Company, November 2011).   What is the Nuclear State? There were not many people who foresaw the March 11th nuclear reactor accident in Fukushima. Most of us [...]

This is a Struggle of Discourses

okinawagoya
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Photo: Angry Goya on flickr via: Ten Thousand Things: May 7, 2011 Okinawa Bitter Gourd Protest: “U.S. government itself is a ‘master of manipulation and extortion’” (日本語の原文は下記に掲載ー合意してないプロジェクトより Original text in Japanese appears in Project Disagree)   The rapist remark made by Satoshi Tanaka, the Chief of Okinawa Defense Bureau, was taken up to be investigated [...]

Reflections on Nuclear Power and Insurrection

hirose
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Photo: Control Rods (制御棒)by Eudoxus   Water, even after having cooled down to below its coagulating point (or fusion point), 0 degrees Celsius, can remain in liquid form. Observed in the case of super-cooling (or super-fusion), the state of a matter or system that remains without a phase shift (structural phase shift from liquid to [...]

And the Word “Parade” Disappeared…

chigaya_drum3
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Photo: 11.26 Drums of Fury Demo by Kai-Wai 散策 (日本語の原文下部に掲載) The present social orientation around nuclear power seems to be at a deadlock in Japan. While the public opinion that supports “abolition in the future” is almost stabilized in 70% strong, the Noda Administration that usurped the power from the Kan Administration for “post-nuclear” cannot [...]

Revolution Is Necessary

anzaiis-zumi
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Photo: ©David M. Grossman – An Interview with Kaori Izumi and Yukiko Anzai (September 22, 2011 in New York City) J: Jfissures A: Anzai I: Izumi J: While actively hosting evacuees from now irradiated Fukushima, Hokkaido, the northernmost island of Japan, has in itself a nuclear power plant in Tomari. Yukiko Anzai and Kaori Izumi, [...]

Nuclear Energy and Reproductive Labor – The Task of Feminism

matsumari1
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Photo: the cover page of “実践非暴力直接行動シリーズ3 女と反原発 – Women and Anti-nuclear Movement” (1988) (日本語による原文は下部に掲載) An Interview with Mari Matsumoto (June 12, 2011 in Tokyo) Jfissures = J Matsumoto=M J: The 11th of June was the global day of anti-nuke action and there was a large demonstration in Tokyo, in which we participated. Can you talk [...]

People Who Transcend Catastrophe: Connecting the Radiation-Measuring Movement to People’s Movements around the World

geigersunaba
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(日本語による原文、下部に掲載) Interview with Manuel Yang (Interviewer: Yoshihiko Ikegami) Recorded on September 10, 2011 at Kunitachi   The Radiation-Measuring Movement is a Class Struggle —Manuel Yang, you’ve been active as a scholar of radical Atlantic and Pacific history and as a fellow traveler of the Midnight Notes Collective, a Marxist theory-activist group that emerged out of [...]

Low-level Internal Exposure

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(日本語による原文は下記に掲載) The public in Japan is strongly concerned with the so-called ‘low-level internal exposure’– a condition of exposure to radiation which is widely talked about amongst us at the moment. This term became gradually acknowledged as we have learned the radiation monitoring results of the area where we live in, and learned to what degree [...]